中居正広さんの件から大きく揺れているフジテレビですが、
そんなフジテレビの黄金時代を築いたのが日枝久さんです。
フジテレビの全盛期は、1980年代から1990年代の初めにかけてであり、日本のテレビ業界で圧倒的な影響力を持っていた時代です。
- 12年間にわたって年間視聴率三冠王者に君臨し続けた絶対王者でした。
- 80年代から90年代前半、日本のテレビ界で圧倒的な強さを誇りました。
この時代の最前線にいたのが、日枝久さんでした。
目次
日枝久:フジテレビ入社
日枝久さんがフジテレビに初めて入社したのは1961年4月です。
当時、フジテレビは設立からわずか4年目の新しい放送局でした。 日枝さんは早稲田大学教育学部を卒業後、テレビジョン(フジ現・メディア・ホールディングス)に入社しました。
この入社は、日枝さんの長いキャリアの始まりとなり、その後フジテレビの成長と発展に大きく貢献することになります。
そして、最初は報道部に配属されますが、その後、編集部へと移りました。
初の大きな仕事「3時のあなた」
1968年4月、日枝さんは「3時のあなた」の企画担当として番組立ち上げに携わりました。
これは、日枝久さんにとってフジテレビでの初めての大きな番組制作の仕事でした。
番組制作での挑戦
- 新しい時間帯への挑戦
午後3時という、それまであまり注目されていなかった時間帯に新しい番組を立ち上げました。 - 有名司会者の起用
高峰三枝子さんと山口淑子さんという、当時の有名な人物を司会に起用し、番組の注目度を高めました。 - 企画担当としての挑戦
報道部や編成部での経験を活かし、初めて番組の企画全体を担当しました。 - 部門を超えた経験の活用
「3時のあなた」の企画を担当する前に、報道部から編成部への異動を経験しており、その経験が番組制作に役立ちました。
日枝久さんにとって、「3時のあなた」はキャリアの大きな転機となる番組だったと言えるでしょう。の経験を積み、後のフジテレビの黄金時代を描く基礎を思います。
「3時のあなた」における日枝久さんの功績
この番組は、主婦層をターゲットにした情報番組で、平日の午後3時から放送されました。
番組の特徴と成功
- 司会者: 番組の初代司会者には高峰三枝子さんと木元教子さんが起用されました。高峰さんの起用にあたっては、日枝さんが土下座をして出演交渉を行ったというエピソードもあります。
- 内容: 番組は主にゲストを招いてのトークや歌、ファッション情報の紹介、地方の風習・伝統の紹介など、主婦向けの情報を提供しました。
- カラー放送: 番組開始当初はモノクロ放送でしたが、1969年4月1日からはカラー放送が開始されました。
山口淑子さんの起用
日枝さんは、当時芸能界から身を引いていた大女優・山口淑子さんを司会に起用しました。
山口さんの起用は大変な話題となり、番組の人気をさらに高めました。
「3時のあなた」は、約20年間にわたり放送され、フジテレビの長寿番組となりました。
日枝さんの企画力とリーダーシップが、この番組の成功に大きく寄与しました。
日枝久:労働組合書記長としての活動
1966年、日枝さんはフジテレビの労働組合を結成し、書記長に就任しました。
当時、フジテレビでは女性社員の定年が25歳と定められており、日枝さんはこの待遇改善を組合結成の重要な大義の一つとしました。
彼は労働組合の活動を通じて、社員と会社の間で信頼関係を構築する重要な役割を果たしました。
左遷の経緯
労働組合書記長としての活動が原因で、日枝さんは報復人事として当時不人気だった編成局に左遷されました。
日枝氏は、入社6年めの1966年、労働組合結成に関わったことで、編成局へ “左遷” させられる。
「2代めの鹿内信隆(しかない・のぶたか)社長のときですね。“シンリュウ(信隆の音読み)” さんは、日経連(出身母体)のアンチ組合の旗頭だから、組合ができたときに、当時の部長以上の管理職を集めて『労働基準法違反に死刑はない。
恐れることはない。とことん弾圧しろ』と、組合潰しの号令をかけていました。 そんな時代でしたから、日枝さんも報道から切られ、編成に飛ばされたのですが、それが結果的に彼にとってはチャンスだったのかもしれません。
出典元:yahooニュース
しかし、日枝久さんはこの左遷にもめげず、編成局で懸命に働き続けました。
その後、1969年に書記長を退任し、社内横断のプロジェクトチーム「番組企画センター」のメンバーに選ばれました。
その後のキャリア
1970年には広報部から編成部に戻り、フジテレビの黄金期を築くための重要な役割を果たしました。
日枝久さんのリーダーシップとビジョンは、フジテレビを視聴率3冠王へと押し上げる原動力となりました。
日枝さんの労働組合活動とその後の左遷は、彼のキャリアにおいて重要な経験となり、経営手腕やリーダーシップに大きな影響を与えました。
日枝久:フジテレビでの功績
1980年: 編成局長に就任し、フジテレビの黄金期を築き上げました。
日枝久さんのスローガン「楽しくなければテレビじゃない」は、フジテレビの企業文化の中核を成しました。
フジテレビ代表取締役に就任
1988年: 代表取締役社長に就任し、フジテレビを視聴率3冠王へと押し上げました。
2001年: フジサンケイグループの会長に就任し、グループ全体の再編と効率化を進めました。
現在の役職
日枝さんは現在、次のような役職についています。
★フジ・メディア・ホールディングス取締役相談役
★フジテレビジョン取締役相談役
★彫刻の森美術館・美ヶ原高原美術館館長
受賞歴
日枝さんの功績は広く認められ、以下の賞を受賞しています。
★旭日大綬章
★早稲田大学名誉博士
★大英帝国勲章ナイト・コマンダー章
日枝久さんのリーダーシップとビジョンは、フジテレビと日本のメディア業界全体に大きな影響を与えました。
この功績は今後も語り継がれることでしょう。
日枝久:フジテレビにおける罪とは?
これだけの大きな功績を残した日枝久さんは、フジテレビにどのような罪をなしたのでしょうか?
日枝久さんに関する最近のニュースでは、フジ・メディア・ホールディングスの経営諮問委員を辞任したことが報じられています。この辞任は、フジテレビの元タレント中居正広さんと女性とのトラブルに端を発した問題が背景にあります。
中居さんのトラブルは、フジテレビの編成幹部が関与していたとされ、会社のコンプライアンスや人権侵害の問題が浮き彫りになりました。
この問題により、フジテレビは多くのスポンサーを失い、経営危機に直面しています。
日枝さんは、フジサンケイグループの代表として長年にわたり影響力を持っていましたが、この一連の問題により、経営諮問委員を辞任することとなりました
フジテレビOBが語る日枝久さん罪とは
日枝久さんは、左遷からもめげず仕事をして、大きな功績を残し、順調に出世していきます。
42歳の若さで編成局長に抜擢されました。
これから、とんねるず時代「とんねるずのみなさんのおかげです」などバラエティー番組を多く輩出することになります。
1980年6月、信隆氏の長男である鹿内春雄氏が副社長に就任すると、日枝氏は42歳の若さで編成局長に抜擢された。
「日枝さんの大きなターニングポイントでした。当時の社長は元郵政省事務次官の浅野賢澄(よしずみ)氏で、いわば “お飾り社長” でした。
浅野社長は、やたらと経費削減ばかり唱えるお役所気質の抜けない人だったこともあって、社内の雰囲気はけっして明るくなく、視聴率的にも落ち込んでいました。
そこで、会長だった信隆氏は、フジテレビを再建させるためにニッポン放送副社長の春雄氏を送りこんで、実質的に春雄氏が舵取りをすることになった。
日枝さんは春雄氏に抜擢されたという記事を見かけますが、正確に言うとこれは間違い。
信隆氏が “春雄氏をサポートできる人材” を人事の幹部連中にはかったところ、日枝さんの名前があがった」(A氏) なぜ、日枝氏の名前が浮上したのか。
「日枝さんは優秀でした。仕事はできたし、当時は私も尊敬していました。判断力と決断力があり、親分肌みたいなところがありました。
出典元:出典元:yahooニュース
日枝久さんは、編成局長に就任してからの約10年でヒット番組を多く輩出して、
51歳の若さで代表取締に就任しました。
しかし、このトップに立ってからが現在に繋がる日枝久さんの”罪”が起こってきたのです。
「今でもOBの集まりがあるのですが、みなさん言うことは同じですね。
日枝さんは人事権を使って、自分のイエスマンばかり周りに集めて、編成、営業……制作でもあまり実績のない人間を局長クラスに据えるなど、フジテレビの要職に就けました。
さらにその人たちも、自分の部下にイエスマンを集めるという状況になっている。
企画力のある人間がほとんどいなくなったことがいちばん大きいでしょう。『笑っていいとも!』『オレたちひょうきん族』の横澤彪(たけし)プロデューサーはヒットメーカーでしたが、結局は日枝さんに切られてしまった。
人事関連で優秀だった人も関連会社に追いやられた。その人は日枝さんとともにクーデターを起こし、1992年に創業一族の鹿内宏明氏を追い落した羽佐間重彰(はざま・しげあき)産経新聞社長(当時)の筆頭秘書をやっていた人でした。
出典元:出典元:yahooニュース
最終的に日枝久さんが、自分の周りに能力の無い人間(イエスマン)ばかりを置いたことが今回の起因のようです。
権力に執着すると、最終的にこのようなことになるのは時代が証明しているのに、なぜ権力者は晩節を汚すようなことをやるのでしょうか。
まとめ
日枝久さんのフジテレビジョンでの活躍を時系列でまとめました。
年 | 出来事 |
---|---|
1937年 | 12月31日、東京府(現東京都)に生まれる。 |
1960年 | 大学在学中にフジテレビの実習生募集に応募。 |
1961年 | 早稲田大学教育学部卒業後、フジテレビジョンに入社。 |
1970年 | 労働組合書長を存続が、組合解体により営業部門へ左遷される。 |
1980年 | 42歳で経営トップに抜擢される。 |
1988年 | フジテレビジョン代表取締役社長就任。 |
2001年 | フジテレビジョン代表取締役会長兼CEOに就任。 |
2008年 | フジ・メディア・ホールディングス代表取締役会長兼CEO就任。 |
2025年2月27日 | フジ・メディア・ホールディングスの経営諮問委員を辞任。 |
日枝久さんは、フジテレビジョンの時代を牽引し、後発局だったフジテレビをトップに押し上げた功績で知られています。
また、 2003年から2006年まで黄金日本民間放送連盟会長を務め、地上波放送のデジタル化や放送と通信の連携という課題に取り組みました。
現在は、フジテレビジョン取締役相談役、フジ・メディア・ホールディングス取締役相談役などの役職を務めておりましたが、最近の危機を受けて経営審議委員を辞任しています。