印象的なハスキーボイスで、声を聴いただけでわかる伊藤沙莉、いまはNHK朝ドラ「虎に翼」で、日本史上初めて法曹の世界に飛び込んだ、一人の女性を熱演しています。
9歳でドラマデビューした伊藤沙莉ですが、ハスキーボイスはすでにこのときからだったようです。
この時の役が大人が子供に若返った研究員だったそうで、大人子供を演じるにはハスキーボイスは、ぴったりの役だったのかもしれません。
そんな伊藤沙莉、じつは俳優を志して芸能界に入ったわけではなく、たまたまだったそうです。
目次
伊藤沙莉・子役になったのは「なんとなく、たまたま、偶然?」
伊藤沙莉は3歳からダンスを習っていて、千葉から原宿まで叔母と一緒に通っていたそうです。
家族構成は母親、叔母、祖母、兄、姉、そして末っ子の彩莉でした。
母子家庭というより、「母親・叔母」家庭と言っていいかもしれません。
父親は会社倒産後に蒸発
父親は、経営していた会社を彩莉が2歳の時に倒産させてしまい、債権者から逃れるため蒸発!
伊藤家は一家離散、一時ホームレス状態になったときに、兄と姉は兄のサッカー仲間の家に、彩莉は母親の幼馴染の家に一時避難、それから叔父叔母の家に預けられたそうです。
叔父・叔母の家に一家でお世話になるも長続きせず
叔父叔母には子供がいなかったそうで、彩莉は自分の子供のように可愛がられたようです。
その後、叔父叔母の家に「母親、兄、姉と彩莉」の家族全員で住むことになりました。
しかし、叔父が荒くれで、この関係も長く続かなかったそうです。
母親が叔父の家から子供たちを守るために離れようとしたときに、叔母も一緒に連れて避難したそうです。
このような流れで、母、叔母、兄、姉、彩莉の新しい家族ができました。
伊藤家の新しい家族の出来上がり!
母親はこの後、塗装業の職人になり子供たちのために朝から働き、叔母は子供たちのために家のことをすべてやっていたそうです。
彩莉が3歳からダンスを習い始めた時の送り迎えも叔母がやってくれ、子役としてドラマデビューした時もマネージャー代わりに付き添っていました。
叔母にとって彩莉が可愛くて仕方なく、「兄や姉」との間に愛情の差があったのか、母親とたまに大喧嘩をしていたそうです。
彩莉はダンススクールに3歳から通い、ダンスグループの仲間と過ごす時間が楽しくてしかたなかったそうです。
目立ちたがり屋で人を笑わすことが大好きで、皆が笑う姿を見ているのが幸せだったのだとか。
将来はなんとなく、ダンサーになれたらいいな~と思っていたようです。
そんな彩莉に転換期が訪れたのは、たまたまだっとのか?運命だったのか?
小学校3年の時にそんな流れがおこりました。
子役としてデビューするきっかけは
ダンススクールには、さまざまなオーディションの知らせが張り出されていたそうです。
ダンススクールの友人の母親が、ドラマの子役のオーディションがあるけど、一緒に受けてみないと叔母に言い、彩莉に「受けてみる?」と聞いたときに「行く!」と答えた!
これが運命の分かれ道だったのでしょう。
ただ、本人は友達とどっかに出かけられるのが嬉しかっただけだったとのことですが。
このテレビドラマの子役オーディションがとんとん拍子に進んで受かってしまったのです。
そのドラマが「14ヵ月~妻が子供に還っていく~」だったわけです。
たぶん、子供大人を演じるのに彩莉のハスキーボイスはピッタリだったのでしょう。
子供になって行く研究員の役を演じ、ドラマの世界にはまっていくわけです。
ドラマ『14ヶ月〜妻が子供に還
っていく〜』(2003)を視聴。
原作/市川たくじ
主演/高岡早紀 中村俊介「若返りの薬」を飲んだ大人たち
の悲劇を描いたドラマ。
当時9歳だった子役の菅野莉央さ
んや伊藤沙莉さんが精神年齢35
歳の女性を演じてます😊
伊藤さんの芸能界デビュー作。 pic.twitter.com/DCzL80yfgv— 夜の鳥 (@EndMetal) July 28, 2021
この当時の印象を伊藤彩莉は次のようにいっています。
最初はなにが何だかわからないまま「ドライ開始しまーす」とか言われ、シンプルにフリーズしたりしていた。
現場にいた大人たちはみんな優しくて、とくに一番共演シーンが多かった高岡早紀さんと中村俊介さんはフリーズしている私に、ドライっていうのはこういうことだよと優しく教えてくれた。
それ以外にも専門用語的なこととかいろいろ。
すごく可愛がって頂いたのを覚えている。
引用元【さり】ではなく【さいり】です
ただ、本来はダンサーになりたくてダンスを習っていた彩莉が、「ドラマ、ダンス、」の両輪をこなすのは大人から見ると無理に映ったのでしょう。
ダンススクールで、新たなメンバーをいれたオーディションが行われて、彩莉はグループのメンバーから外されてしまいました。
小学校3年の子供にとって仲間外れにされた!と泣き崩れ、今までやってきた仲間たちもみんな泣いたそうです。
叔母はそんな彩莉をおんぶして、無言で帰ったそうです。
叔母とダンススクールのマネージャーの間には「彩莉の体がこのままではもたないからメンバーから外そう」そのような話は済んでいたのでしょう。
ドラマが終了する1年が過ぎ、その後1年経ったころ、小学校5年生になったころメンバーの発表会を見に行き吹っ切れたそうです。
その後は、「女王の教室」など多くの作品に出演し声を武器に活躍してきました。
女王の教室に出演した時に、天海祐希さんに次のような言葉をいわれたそうです。
女王の教室・天海祐希から言われた言葉
伊藤彩莉が子役として仕事をしているとき、天海祐希さんから次のような言葉をいわれたそうです。
他の子役たちと違って、〇〇劇団や〇〇アカデミーなどに通っていたわけではないから、セリフもそんなに多くはなく、重要な役どころではなかったのかもしれません。
しかし、彩莉は現場が楽しかったのか一生懸命に演じていたのでしょう。
「あなたはカメラが自分に向いていない時でも常に気を抜かずにお芝居をしてる。当たり前かもしれないけど、それができる子は意外と少ないの。
私は宝塚っていうところでお芝居をしていたの。端っこで踊っている時でもお芝居をしてる時でも意外とね、みてくれてる人はいるのよ。
自分なんて誰も見てないって思う時もあるかもしれないけど、そんなことない。
この先何があってもどっかで誰かが見てるし、必ず誰かが見つけてくれるしみとめてくれるから。
あなたはずっとそのままでいてね。
引用元【さり】ではなく【さいり】です
劇団やアカデミーで芝居の稽古を受けてきた子役たちと、一緒になって芝居をしている伊藤彩莉が見れる場面を見つけてきましたよ。
伊藤彩莉がナチュラルにセリフを言っています。
まだまだ、俳優としてはナチュラルな等身大の演技しかできないので、セリフも多くありませんが、天海祐希さんは光るものを感じたのでしょう。
伊藤彩莉は競争とか比べるとかがホントに嫌いだそうです、それを天海祐希さんもみていてわかったのでしょう、「あなたはそのままでいてね。」のことばに出ていますね。
また、
ドラマ『みんな昔は子供だった』の打ち上げで永山瑛太さんに次のように言われたそうです。
「頑張ってね。いや、頑張らなくていいや。頑張らなくていい。頑張らなくていいから、そのままでいてね。
引用元【さり】ではなく【さいり】です
そのままで大丈夫だから。」
そういわれたそうです、やはり、みていて競争とか比べられるのが嫌いとわかったのでしょうか。
伊藤彩莉はこのハスキーボイスが小学校のころは、武器になったそうですが、中高生になるとだんだんとオーディションにも落ちることが多くなりコンプレックスになっていったそうです。
子役時代の悩みとは
伊藤彩莉は子役時代に苦労したのは、「泣くこと」だったそうです、悲しくもないのに何故涙を流さないといけないのか、理解できなかったようです。
泣きたくない時になく芝居をしなければいけないことに違和感を感じていたようです。
インタビュでは次のように答えています。
伊藤は「お芝居の方でいうと“泣きたくないときに、なんで泣かなきゃいけないんだろう?”っていうのは、いつも思ってました」と答える。
「もともと、お芝居を志して芸能界に入ったわけではなくて、たまたまだったので。泣ける演技ができるまでには時間がかかりましたね」と振り返った。
また「一回、お母さんが死んだことを想像して泣いたことがあって。それを監督に言ったら“そんなもんだったんだ、お前。本質と違うところで泣いちゃったら、同じ『泣き』でも違うだろ”って、すごく怒られて」と叱責されたという。
引用元・スポニチ
泣く芝居を会得するまでに時間がかかったんですね、そもそもダンサーになりたいと思っていたんですから、当然と言えばそうかもしれませんね。
中学校に入り、段々とオーディションに受かったり落ちたりを繰り返していて、
本人曰く「順風満帆?」には程遠い俳優人生だったようです。
小6から中学校卒業するまでは「売れない子役」があだ名になっていたそうです。
目立ちたがり屋でうるさい、騒がしい子供だったようで、スタジオでもそうだったのっでしょう、「転校したことにして、いなくするよ!」なんて言われたりもしたそうです。
もともと競争するのが嫌いな性格なので、売れなくても自然体でやっていたのでしょう。
「売れない子役」と言われてもさほど気にしなかったのでしょう。
元々はじけた人間で、どっちかというとアウトドア派というか、「ドッジボールやるぞー!」みたいなタイプ。
今じゃ考えられないんですけど、そんなに引っ込んでたタイプじゃないんです。だからなおさら、みんなからイジられたんだと思いますね。私、小6ぐらいから中学終わるぐらいまでのあだ名が「売れない子役」だったんです。
引用元文春オンライン
そんな伊藤彩莉は18歳で突然事務所をクビになったそうです。
事務所が子役部門をなくすということで、他にも数名がクビになったそうです。
この時に映画『悪の経典』の撮影に入っている時で、クランクアップして上映のとき、
母、叔母、姉と一緒に観に行き、伊藤彩莉が殺害される場面になると、姉は泣き叫び、母と叔母は大激怒し、大盛り上がりだったそうです。
帰り際にたとえ話で、「もし私が俳優を辞めるって言ったらどうする」と聞いたそうです。
母親は「もったいないけど、彩莉の人生だからやめたくなったら やめれば」と言ってくれて、
「なんだ、辞めてもいいんだ~」となり、覚悟は決まったそうです!「俳優でやっていく」と!
前の事務所の人に今の覚悟を聞かれたときに、「芝居ができればなんでもやります」と現在所属の事務所(アルファーエイジンシー)を紹介されたそうです。
アルファーエイジンシーに所属して数年は仕事がなかったそうで、アルバイトをしていたそうですが、この時のエピソードが面白すぎるので、ご紹介します。
青春を謳歌 18歳、19歳の出来事が今の伊藤彩莉につながった!
アルファーエイジンシーに預かりになってからは、仕事がどんどんきたのか?
と言えばそんなことはなく、逆に全然仕事がなかった時代だそうです。
元来競争やハングリー精神が薄い性格なので、この時間を思いっきり楽しんだそうです。
19歳にしてめちゃくちゃ楽しんでいた。
バイト行って、教習所に通って、友達の家に連泊して、彼氏できて、彼氏もいるグループの子たちとずーと一緒にいて、みたいな。
それはそれで、今考えると必要な大切な時間だったけど、その時は私のそんなぬくぬくした
感じもきっと相まって、マネージャーさんたちに散々怒られた。
引用元・【さり】ではなく【さいり】です
のんびりと楽しく過ごしていた伊藤彩莉に、マネージャーはかなり厳しくしかったそうです。
そのときの様子を次のようにいっています。
今でも覚えているお叱りの言葉ベスト3を発表しますと。
1、今のあなたが突然辞めると言ってきても全く止める気はない。
2、丸くなって、つまらない芝居するなよ。
3、だれよりも台本を読んでないし読めてない。
ずーと泣いている私をみて、
「泣くのなら、変わるか帰るかどっちかにしなさい!」
そう言ったマネージャーを横目に社長がこっそりと近づいてきて
「今日のおべべ可愛いね」って言ってきた。
引用元・【さり】ではなく【さいり】です
お説教中、号泣中のところに社長が言った一言で伊藤彩莉は笑いをこらえるのに必死だったそうです。
なんとも上手いチームワークですね。
「しかり役となぐさめ役」マネージャーと社長でうまく役割分担できていたようですね。
ハングリー精神も競争心も薄い伊藤彩莉がこのときに、「見てろよ」という気がうっすらとでてきたそうです。
そんななかオーディションに合格したのが、GTO・飯塚健監督との出会いであった。
伊藤彩莉GTO・飯塚健監督との出会いで変わった
伊藤彩莉が恩人と慕っている、飯塚健監督との出会いがその後の運命を変えたようです。
クランクインする前に、いくつかのグループに別れワークショップを行った際に、
飯塚健監督が放った一言が「松岡茉優くらいかな見れる芝居は」だったそうです。
伊藤彩莉は次のように言っています。
くそったれと思った。そこでやっと気づいた。
悔しいとか全然思うじゃん。なんならちょっと前から芽生えてるじゃん。
ちょっとくらい持ってんじゃん、ハングリー精神。
GTOに受からなかったら辞めようと思ってたところで受かったので、
相変わらずのいじめ役だったが、失うものは何もない!
そんな気持ちでくらいついていったそうです。
引用元・【さり】ではなく【さいり】です
飯塚健監督とは、今もときどき一緒に仕事をする間柄になっているそうです。
この時の頑張りはしっかりと認めていたのでしょう。
伊藤彩莉・飯塚健監督からかけららえた言葉
当時20歳の伊藤彩莉に次のような言葉をかけてくれたそうです。
少なくとも3年は頑張れ、3年で確実に状況が変わる。
焦ることない。10年経ったときに、今あなたが自分の方が負けているとか、劣ってるとか思っている奴らが、自分と肩ならべてるか、自分には手の届かないところにいるか確かめればいい」
引用元・【さり】ではなく【さいり】です
こんな言葉をかけてくれたそうです。
これからがむしゃらに頑張り、スランプを抜け出した伊藤彩莉に待っていたのは、
飯塚健監督が予言した通りになっていったのです。
3年後には、映画『獣道』に主演、そしてNHKの朝ドラ「ひよっこ」にも出演することになったのです。
その後も次々に諸名作品に出演し、もうすぐ30歳!
そうです、飯塚健監督から言われた10年後に確かめればいい!
子役時代によく一緒になった、二階堂ふみ、りっぱな俳優になっています。
GTOで一緒だった松岡茉優も立派になっています。
伊藤彩莉も負けていません、「虎に翼」朝ドラに主演し名実ともに若手俳優の先頭を走っています。
これからますます活躍していくでしょう。
なんとなくなった俳優業、紆余曲折あったなか、母の教えを守り、叔母の愛情に支えられ、
兄と姉に励まされ、素晴らしい俳優に成長してきました。
今後の活躍を期待しましょう。
まとめ
「虎に翼」の主演をつとめることになった伊藤彩莉、ハスキーボイスが印象的で、一度聞くと忘れません。
そんな伊藤彩莉は9歳にドラマデビューしました。
なんと芸歴20年のベテランです、子役時代はどんなだったのか、ハスキーボイスは子役時代からだったのか?
調べると色々と分かりました、ハスキーボイスは子役時代からで、その声があるからオーディションに合格したとかあったようです。
またその声が思春期のコンプレックスになったとかもあったようです。
色々な人に出会い刺激を受け、「自分は芝居が好きだ」と心の底から思えるようになったそうです。
連続テレビ小説「虎に翼」では、実話をもとにした日本で最初の女性裁判官になる物語を熱演しています。
これでまた大きく成長してくれることでしょう、楽しみにして応援していきます。
ハスキーボイスの伊藤彩莉、僕もファンだよ。
芸能界に入ったのって、なんとなくだったのか?