コッペパンの名前、コッペの意味と由来ってご存知ですか?知ってるようで知らないコッペの意味を調査! | ALL day Info

コッペパンの名前、コッペの意味と由来ってご存知ですか?知ってるようで知らないコッペの意味を調査!

雑学
良くコンビニでも売っているコッペパン、何の疑問も持たないで食べていますけど、

突然、、4歳の娘に「ねぇママ、コッペパンってどんな意味?」って聞かれた(*_*;はて?

コッペパンってどんな意味?由来は?分からん、、早速調べてみました。

パパにコッペパンってどんな意味って?

って聞かれて、そういえば私も

考えたことなかった、しかも知らないし(>_<)

子供の鋭い質問に答えるべく一緒に調べてみましたょ♪

 

コッペパンってどんな意味?由来は?

私はコッペパンって外国から来たんでしょ?なんて思っていました。
実は和製語でした。

辞書で調べてみると次のように載ってました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
『新明解語源辞典』の「コッペパン」の項には。
「パンの一種で紡錘状のもの。コッペとパンを合した和製語。
コッペはフランス語coupeに由来する。coupeは「切られた」の意で、
パンの焼き上がりを良くするために切り込みを入れることから名付けられた。」
~~~~~~~~~~~~~~~~~
とありました。
ここまではフランス語のcoupeに由来する説であるようなんですが、
一方で『日本語源広辞典』には次のように載ってました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
「コッペパン」の項に「語源は、
「コッペ(ドイツ語)koppe(山頂)+パン(ポルトガル語pao)」です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
この二つの説があるみたいですが、今はフランス説が有力のようです。

名前の由来は分かったんですが、いつ頃から食べるようになったんでしょうか?

コッペパンはいつ頃から食べるようになったの?

コッペパンの最初は太平洋戦争の配給パンが最初という説もあります。
一人一食一個で配られたんでしょうか?

そして全国に広まったのは学校給食だったそうです。

この写真は現在の給食なんですが、パンの回数は少なくなっていますが、
コッペパンが出る日はあるようです。

戦後に学校給食にコッペパンが登場した理由は?

戦後にコッペパンが給食に使われるようになった理由が、

今では考えられない理由ですね、子供になんと説明しようかな。

学校給食が開始されると、献立の主食は1980年代頃まで、コッペパンが主食を担っている場合が多かったそうです。
その理由が次のような事情があったようですね。

米飯の場合は、米を炊き、運搬、昼食時まで保管、配膳、食後は食器を洗うという、
厨房設備の整備と、多くの手間が必要です。

戦後はこのような設備と余裕はなかったんですね、今の子供たちには想像すれできないことでしょう。
戦後の写真を見せながら、説明してあげました。

「コッペパンはそれらの手間が省けるから給食で広がったんだよ」って。

町のパン屋が委託され、学校給食用のパンを製造していたようです。
またコッペパンは子供でも取り扱いが簡単で、
衛生的でもあったんですね。
色々な費用もも低く済ませることができたのでしょう。

今の子供が太平洋戦争の後の生活がどうだったのかなんて、
考えることもないでしょう。

コッペパンの話のついでに当時の事情とか、おじいちゃん、おばあちゃんのお父さん、お母さんが
どんな大変な生活をしてきたのか、話をしてあげました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~

太平洋戦争直後の食糧難の時代に、※進駐軍(アメリカ軍人)が小
麦や※脱脂粉乳を放出していて、※(ララ物資)
国産の米や穀物よりも手に入りやすくて安かったんだよ。
そして栄養的で食生活の改善に役立つことができたのよ。

コッペパンは主食として飽きがこないことも良かったのかもしれないね。

※進駐軍 ※脱脂粉乳 ※ララ物資

※進駐軍・・・・1945年8月の終戦後、日本を占領した連合国軍。 米軍が主体で、米元帥のダグラス・マッカーサーが最高司令官となり、
連合国軍総司令部(GHQ)は東京に置かれた。 52年4月のサンフランシスコ講和条約発効により日本が主権を回復し、進駐が終了する。

※脱脂粉乳・・・「脱脂粉乳」は、牛乳中の脂肪分を除いたあと、乾燥させて粉にしたもので、「スキムミルク」として現在もスーパーなどで販売されています。

※ララ物資・・・太平洋戦争後、日本全国で食料をはじめあらゆる物資が不足して、国民は激しい困窮状態に陥りました。
日本全土の建物や家財道具の4分の1が失われました.
餓死者が月に数十人という町もあったそうです、今の日本では考えられない状態ですね。
そんな飢餓状態の日本にアメリカから『ララ』(Licensed Agencies for Relief in Asia)の名前で、
食料・医薬品・衣料・学用品などの大量の救援物資が日本に贈られました。

当時の給食用パンの配合比率

1950年当時の学校給食用パンの規格では、原料配合率は質量比で、
小麦粉が100・砂糖が3・マーガリンが2・イーストが2・食塩が1.7で、
水分は全質量の37%以下、製品質量は10食あたり1424gであったようです。

まとめ

コッペパンの由来についてお話してきました、

子供に太平洋戦争後の混乱期と食糧難の時代にコッペパンが登場した背景を話すことができました。

今の時代では考えられないような苦しい時代があったことが、少しでも子供に伝わったら良いなと思っています。

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