2021年NHK大河ドラマ、渋沢栄一の人物像は?銀行を始めて設立したってホント⁉

雑学
渋沢 栄一
Eiichi Shibusawa.jpg
生誕1840年3月16日
(天保11年2月13日)
武蔵国榛沢郡血洗島村
(現・埼玉県深谷市血洗島)
死没1931年11月11日(満91歳没)
東京府下北豊島郡滝野川村元西ヶ原 (王子飛鳥山邸)
(現・東京都北区西ヶ原)
職業幕臣、官僚、実業家、教育者

【出典Wikipedia】

2021年NHKの大河ドラマの主人公にもなる渋沢栄一とはいったいどんな人物だったのでしょうか?
渋沢栄一は現在の埼玉県深谷市に生まれたそうです、埼玉は足袋で有名な行田市もあります。
以前「陸王」と言うドラマで有名になりましたね。

渋沢栄一さんの話に戻ります、生まれた家は豪農で蚕や野菜、米なども作っていたのでしょうか?
そんな大きな農家でに生まれた渋沢栄一は小さいことから本を読んだり勉強が好きだったようです!
勉強していきにしたがって、徳川幕府のやり方に不満を持ったのでしょうか

倒幕思考に片寄っていきました。
当然その時代にそのような考え方はもってのほかで、
父に勘当されてしまします。

江戸に尊王攘夷運動に加担する渋沢栄一!

江戸に出て尊王攘夷運動に加担するようになるんですが、
一橋家の話を聞いて一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ)後の徳川慶喜(徳川家最後の将軍)に使えるようになります。
幕府の幕臣になってから、パリで行われる万国博覧会(1867年)に、
将軍の名代として出席する慶喜の従兄弟・徳川昭武の随員としてフランスへと渡航することになります。

パリ万博を視察したほか、各地で先進的な産業・軍備を見聞すると共に、社会を見て大きなカルチャショックを受けたようです。

この時に彼に語学を教えたのは、シーボルト(1820年代日本のオランダ商館付き医官)
の長男で通訳として同行していたアレクサンダーであったそうです。
帰国後もその交友は続き、アレクサンダーは弟のハインリヒと共に
後に、明治政府に勤めた渋沢に対して日本赤十字社設立など度々協力をするようになる。

明治維新後の帰国して、徳川慶喜と共に静岡に移住します。
この時「これからは好きなように生きなさい」との言葉をいただき。
渋沢栄一氏はヨーロッパで見聞してきたことを実践に移します。

日本で初めての株式会社を設立したんです。
この当時は商法会所と呼ばれていたようですが、これは日本で初めての株式会社だそうです。
この出来事をみて明治政府が渋沢栄一氏を招きます。

そして大蔵省に入省することになるんです。

大蔵省出仕〜実業家時代は全部で500もの企業の設立に関与!

大蔵省に入省すると国立銀行条例制定に携わったんです。
大蔵時代は紙幣や銀行設立に関わったんですが、政府の考えと対立して退官し、
実業家へと転身していきます。

このあとの活躍や目を見張るようなものです、
自ら設立した第一国立銀行を足掛かりに、王子製紙や大阪紡績、東京瓦斯など約500社の設立のほか、
商業会議所や銀行集会所の創設などにも関与し、日本の資本主義の発展に大きく貢献しました。

現在の三菱・三井などの創業者は自分たちの儲けの為にのみ財閥をつくっていきました。
ところが渋沢栄一氏は生き方が全然違いました。
全て人の為!この生き方が現代に感銘を受けているのではないでしょうか。

学校も現在の一橋大学・東京経済大学・国士舘大学・日本女子大学などの設立にも関与したようです。
渋沢栄一氏の考え方や生き方は現代に生きる私達に大きな影響を与えてくれます。

これからの未来を担うこどもたちにも是非知って欲しい人物ですよね。

そこで子供でも簡単に「子供でも簡単に読める渋沢栄一伝記」をご紹介します。

子供でもわかる渋沢栄一伝記漫画

 

まとめ

渋沢栄一の人物像について記事にしてみました。

日本の資本主義の父といわれるほどのすさまじさで色々な事業を展開。

植民地時代の朝鮮にも銀行をはじめ鉄道や電気、ガス会社を設立して事業展開をしていきました。

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